聖地巡礼の旅

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講演タイトル『四国遍路について』

遍路の現代人への啓示 ―――智広阿闍梨が日本愛媛大学で開かれた遍路文化交流会での講演 敬愛なる愛媛大学の先生方、学生の皆様、遍路団の皆様、こんにちは。愛媛大学でこのような講演の機会をいただき、大変嬉し…

2019.09.20

遍路の現代人への啓示

―――智広阿闍梨が日本愛媛大学で開かれた遍路文化交流会での講演

敬愛なる愛媛大学の先生方、学生の皆様、遍路団の皆様、こんにちは。愛媛大学でこのような講演の機会をいただき、大変嬉しく思います。一人の中国人として、遍路についての認識、及び遍路の現代人への啓発についてお話させていただきたいと思います。

一、四国遍路について

四国遍路霊場の分布図

至誠の祈り

四国遍路は日本において大変長い歴史を持つ伝統的な活動であり、記録によると、すでに1200年余りの歴史を持っています。ご存知の通り、四国遍路は発心、修行、菩提、涅槃という四つの段階に分かれています。

「一歩一弘法四国遍路団」は2015年11月正式にお遍路を始め、2015年11月、2016年2月に徳島県の発心、高知県の修行という二つの段階を終え、本日第三の段階–愛媛県の菩提の旅を始めます。最後ひとつ–香川県の涅槃の段階のお遍路は、功徳円満の段階であり、来年の2月に全ての巡礼を終えるつもりです。これは非常に有意義な巡礼の旅です。

上:NHKの報道記者が智廣阿闍梨にインタビューする様子 下:『一歩一弘法遍路団』の菩提の旅の記念写真

お遍路中に、日本のNHK等のマスメディア各局による遍路団へのインタビューや報道が行われました。その際、NHKテレビ局の記者から「中国ではこのようなお遍路がありますか」と聞かれたことに対し「私は中国で仏教文化を30年余り勉強しました。私が知っているところ、中国でもお遍路のような巡礼活動があります。私も中国でたくさんの聖地を訪れたことがあります。例えば、中国で有名な四大仏教名山である、五台山、普陀山、九華山、峨眉山があり、中国仏教界ではこの四大仏教名山の巡礼が非常に有名で、毎年たくさんの信者が礼拝に行きます。私自身も何度も四大仏教名山を巡礼したことがあります」と答えました。

この巡礼の根源はインド仏教に由来するはずです。インド仏教には釈尊生誕の地のルンビニ、釈尊成道の地のブッダガヤ、釈尊初転法輪の地の鹿野苑、釈尊入滅の地のクシナガラの四大聖地の巡礼があります。インドでは昔からこのように四大聖地を巡礼する伝統があるので、この聖地巡礼という伝統は、私の個人的見解ではインドが根源だと思っております。仏法は中国で盛んになり、巡礼は中国でも普遍的なものとなりました。1200年前に、弘法大師空海は唐に渡り、密教と科学文化を学び持ち帰ったと同時に、このような素晴らしい伝統を日本に導き入れたのです。これは私個人の見解です。

私の子供時代は、祖母のような年配の方々は高い教養こそありませんが、仏教寺院への巡礼には非常に熱心でした。当時彼女たちは皆、黒の袈裟を着て黄色い巡拝袋を背負うという決まった服装があり、巡拝袋の上には色々な寺院の朱印が押されてありました。日本の遍路とふたつ似ているところがあります。まず一点目は、たくさんの寺院を礼拝するところで、二点目は、熱心にお寺の印鑑を押してもらうことで、遍路の寺院の納経所での納経とよく似ています。

インドの四大聖地 左上:ルンビニ 左下:鹿野苑 右上:クシナガラ 右下:ブッダガヤ

二、遍路による思考

私は2012年に高野山で参拝をした時初めて四国遍路というものがあるということを知りました。その際に四国遍路についての資料を読み、遍路をすることは非常に有意義な事だと思いました。それなので、私はそれ以来四国遍路についての書籍と資料を収集し四国遍路の事を調べ続け、去年の11月にいよいよ決行するに至り、順調に一歩一弘法の遍路団を編成し、第一段階の遍路を遂行することができました。これが私の遍路を認識し開始するまでの過程です。

インターネット上のデータによりますと、日本では毎年五十万人余りもの人々が四国遍路をしているそうです。このデータはあくまでもインターネット上で調べたもので、正しいかどうかははっきり分かりませんが、このデータから四国遍路の巡礼活動が多くの人々に人気のある事が分かります。しかも多くの外国人も参加されているようです。なぜ毎年こんなに大勢の人が遍路をしているのでしょうか。彼らは遍路の巡礼活動から何を得たいと思っているのでしょうか。それについて私たちも思考してみるべきです。是非皆さんもご一緒に考えてみましょう。

三、遍路からの啓示–徒歩旅行から心の旅まで

「忙」という漢字

現代社会では、大部分の人々、特に都市で生活している人々は非常に忙しいと感じています。中国大陸では特に「北上広深」、即ち北京、上海、広州、深圳のような近代化された都市で生活している人々はとても忙しいです。私が日本に来て東京を見ると、そこの人々も非常に忙しそうにしていました。

中国の「忙」という漢字を見れば分かると思いますが、この「忙」の字の左は「心」の部首で、右には死亡の「亡」があります。人は忙しい時に、色んな煩悩や迷いが生じます、この「忙」という漢字は「心」「亡」を表しています。即ち「心」が既に死んだり、失ってしまったりして、そういう訳で「忙」というのです。

現代の人達はみんな旅行が好きで、中国では、祝日に入ると有名な観光地はどこも混み合っています。私は日本に来てから日本も同じだと気づきました。特に春の桜が満開の時期や、秋の紅葉が見頃の時期は至る所には観光客ばかりです。人はなぜ旅行に行くのでしょうか?それは、多忙な仕事と生活の中から解放され、リラックスし、心身を整えたいと思っているからです。

人生即ち遍路

四国遍路は浅い意味では観光の価値も兼ね備えています。四国遍路をしながら、大自然な景色を楽しみ、リラックスし、心身を整える事ができます。しかし、遍路は通常の観光よりもっと深い意味が含まれているのです。皆さんご覧のように、この写真に映っている石碑に「人生即遍路」という文字が刻まれています。これは四国遍路の中で一番有名な言葉です。遍路の事をご存知でしたらこの言葉を聞いた事があるでしょう。

四国遍路は人々を一時的に都市の喧騒と繁忙の中から離れさせます。大自然の中を徒歩し美しい景色を楽しみながら、リラックスすると共に人生について色々と思考する事もできます。日本では遍路に関するテレビドラマ「ウォーカーズ〜迷子の大人たち」があります。この四話からなるドラマは四国遍路の四つの段階に対応し、それぞれ第一話の発心、第二話の修行、第三話の覚醒、第四話の結願は遍路全てが円満という意味での結願です。発心、修行、菩提、涅槃と多少違いますが、監督は四国遍路の四段階の名称から閃いてテーマの名づけをしたのでしょう。この四話のドラマは人々が遍路を通して人生について考え遍路を円満に終える時に、一人一人が深く啓発を受け、人生における色々な問題について解決が得られ、多くの煩悩から解放されるというストーリーです。このドラマは本当に良く撮れていると思うので皆さんもぜひ見ていただくようお勧めします。その内容は四国遍路に関する文化が反映されており、とても意義のあるドラマと思います。

テレビドラマ「ウォーカーズ〜迷子の大人たち」

四、お遍路における仏教文化からの啓示

1、お遍路が四つの段階に分けられる深い意味

四国遍路は普通の旅行としての機能を果たし、また私たちが人生を反省し、人生問題について考える契機をもたらし、お遍路の中から人生の啓示を得る他にも、実はもっと深い意味を持っているのです。その深い意味とは何でしょうか?四国遍路という形は仏教から生まれ、弘法大師空海などの古代の高僧大徳により1200年前に創設された巡礼の形式であり、多くの緻密な設計がされ、多くの仏教文化の要素が溶け込んでいます。私の学んで来たお遍路の仏教文化の知識に基づいて、今日みなさまにお遍路の中における仏教文化に対する私の理解をお話しさせていただきます。

まず、遍路の四つの段階です。実はそれは私たちの人生の道の中で経験しなければならない四つの過程に当てはまります。人生は実際に遍路の四つの段階のような過程も必要です。一つ目は発心です。発心とは何でしょうか?発心とは、あなたがなぜ生きたいのか?人生の意味は何なのか?中国の古代の王陽明という方の素晴らしい言葉があります「志立たざれば、天下に成せるべき事無し」とおっしゃったことがあります。もし志を立てなければ、人生において何事も成就することができません。したがって、中国古人の言う「志を立てる」は仏教でいう「発心」であり。発心と「志を立てる」ということは全く同じものです。人生の始め又は人生を歩みだそうというときに、一番よく考えなければならない事は、何を志すのか?なぜ生きるのか?人生の意義とは何か?という問題です。これは私たち一人ひとりが考えるべき非常に重要な問題です。もちろん、仏教の中で一番よい発心は菩提心であり、それは弘法大師空海のように、一切衆生を度するため、一切衆生が苦痛から離れて、安楽を得る為に修行に励むこと、このような人生こそが非常に有意義です。弘法大師空海が一生の中でこんなに偉業を成し遂げ、無数の日本国民に福を与え、もちろんのこと日本国民だけでなく、今や全人類にも福を与えられている、それは弘法大師の発心―菩提心と深く関係しています。そのため、中国の古人の、発心がその人の一生の成就を決定するという教えのように。気持ちが小さければ小さく成し遂げ、気持が大きければそれに応じて大きいことを成し遂げられます。弘法大師の心は非常に広く、一切衆生を助けたいという気持ちを持っていたので、大師はとても大きな偉業を成し遂げられたのです。これが発心段階における私たちが思考すべき人生の重要な問題です。

“修行”段階の第一番「最御崎寺(ほつみさきじ)」(第24番札所)

第二段階は修行です。人はただ動機があり、良い志、良い発心があれば十分かというと、それでは足りません。私たちは修行でこの志、この発心を実現しなければなりません。すなわち、素晴らしい願望だけでは足りなく、行動で実践し、実行により願望を実現するということが極めて重要です。人間はただ素晴らしい願望を持ち、毎日スローガンを叫んでおきながら何も行動をしないのはいけません。絶えず実践しなければならないのです。この実践する過程のことを仏教では修行と呼びます。修行にはもう一つの意味がありますがそれは何でしょうか?自分の行為を絶えず修正することです。実践する過程の中で、誤った道を歩み、過ちを犯すかもしれません。では修行とはいったい何なのでしょうか?仏教の中で、自分の思想、言語と行為を絶えず調整し、自分の思想、言語、行為をよりよく調整する過程のことを修行と呼びます。寺院で出家したり、座禅をすることだけが修行だと考えている人がいますが、実際にそれは狭義的な修行です。では広義的な修行とは何かというと、それは私たちが時々刻々と自分の思想、言語、行為を覚知し、誤った思想、言語、行為を絶えず調整することです。それが広義的な修行であり、私たちが日常の仕事と生活の中でやらなければならないものです。私たちは誰でも過ちを犯すものであり、だからこそすべての人間が修行——誤った行為を修正することが必要なのです。

“菩提”段階の一番最後の寺である「三角寺(さんかくじ)」(第65番札所)

第三段階は菩提です。菩提は仏教では悟りを意味します。人間はある程度の修行をした後、思想のレベルが変化を起こし、考えが前とは違い、思想のレベルが上昇します。それが悟りと呼ばれます。当然ですが、小さい悟りから大きい悟り、そして仏陀のような徹底的(日本語では究極的な悟りという言葉が多いようですが意味が変わりますか?)な悟りまで「悟り」は幅広いレベルがあります。悟りは私たちにとって非常に重要で、人間の人生の境地は何で決められるのかというと、その人の悟りにより決められます。その人の悟りが高ければ、その人の境地も高く、大きなことを成し遂げ、もしその人の悟りが低ければ、境地も低く、小さなことしか成し遂げられません。仏教ではこの悟りを特に重視しており、例えば禅宗が求めるのは悟りを開き、明心見性し本性を徹見することです。日本の平安時代で最も著名なのは天台宗と真言宗でした。その後中国宋時代の時期に二つ重要な宗派が伝えられて来て後、日本でも非常に盛んになりました。一つは臨済宗で、もう一つは曹洞宗です。臨済宗と曹洞宗はいずれも禅宗に属し、禅宗が求める修行の目標は悟りを開くことであり、それが実は私たちのいうところの菩提です。したがって、仏教においては人間の悟りが重要で、悟りを開くということは非常に重要だと考えられています。悟りを開くとは宇宙と人生の真相に対して、不明から明白へ、迷いから悟りへと歩むことです。 悟りを開くということには様々なレベルがありますが、真言密教の中で言う菩提は何かというと、自分の心の本性を認識するものです。先ほど、諸田教授が講演の中で最後におっしゃった通り、真言密教の伝承する系譜の中には「大日経」の伝承があり、「大日経」の中には「云何が菩提とならば、いわく実の如く自心を知るなり」があります。本当の菩提は何でしょうか?本当に自分の心の真相を知ることを菩提と呼び、悟りと呼びます。当然ながら私たちにとって、かなり難しいことかもしれませんが、それは私たちの修行のひとつの目標です。

私たちの人生も同じであり、もし私たちが人生の中で自分の悟りを絶えず上昇させるなら、精神的境地も更に高くなり、大きく成し遂げることができます。弘法大師空海が末代まで栄誉を残し、1200年来日本国民、さらには全人類に恵みを与えたのは彼の悟りの境地が非常に高かったからです。中国でも、日本でも、歴代の仏教文化に大きく貢献した人は皆悟りが非常に高い人です。そういうことで、菩提(悟り)は非常に重要なのです。

“涅槃”段階の「善通寺(ぜんつうじ)」(第75番札所)

第四段階は涅槃です。この言葉は中国で非常に誤解されやすい単語です。私は日本ではどうなのかはよく分かりませんが、中国では、多くの人が涅槃イコール死だと考えており、高僧大徳の涅槃と言うと高僧大徳が死んだのだと勘違いをしてしまいます。実は仏教の中で涅槃という言葉と死とはあまり関係がないのです。涅槃はサンスクリット語の中で般涅槃と呼ばれ、般涅槃を中国語に翻訳すると、円寂です。円満の円、寂滅の寂です。円寂という二つの文字はどんな意味があるのでしょうか?円は最高の境地の修行を得て、すべての功徳が円満になること。それが「円」と呼ばれます。寂とは何でしょうか?すべての欠点、すべての誤り、すべての苦痛も取り除かれること。それが「寂」と呼ばれます。円寂とは生命が非常に円満な境地に達し、すべての人生の潜在的な能力、もっとも優れた部分がすべて開発されたということです。そして、人生の迷い、欠点が既に克服され、苦痛が既に止んだということです。ですから、涅槃という言葉が何を表しているかというと、人生の円満を表しているのです。

どうして第四段階が涅槃と呼ばれるのでしょうか?私たちは発心、修行、菩提を経て、最後に人生の円満な境地——即ち「成仏」まで達するということです。それでは、成仏とはどんな概念があるのでしょうか?仏教の中で、成仏とは徹底的に悟りを開いた(究極的な悟り)ということです。でも、徹底的に悟りを開くこと(究極的な悟り)を理解出来ない人も沢山います。禅宗の第四祖道信大師の仏陀に対する定義を借りて説明したいと思います。道信大師は「快楽で憂いなし故に仏なり」とおっしゃいました。何が仏と呼ばれるのでしょうか?仏とはすべての苦痛が全部取り除かれ、完全なる快楽であり憂いがない方です。それが道信大師による「方寸論」の中で説かれている「仏」という概念に対する非常に分かり易い定義です。

安楽で憂いの無い故、仏と呼ばれる

したがって、「成仏」は私たち一人ひとりと関係があります。私たちはみんな安楽を求め、すべての人々が安楽で憂いのない人になりたいと望んでいます。仏は安楽で憂いのない方です。それでは、仏法とは何でしょうか?仏法は安楽で憂いのない方法を獲得するための方法です。遍路の四つの段階は実に私たちが悩みから安楽で憂いのない境地へ歩む過程です。発心から、修行、菩提、涅槃、最終的に安楽で憂いのない境地へ、すべての悩みと苦痛が全て取り除かれた過程です。

人は誰もが楽しみを求め、幸せになりたいと望んでいます。それは私たちすべての人々が求める目標です。私たち人類のすべての活動の本質は実に苦痛から離れて安楽を得るに他なりません。そのため、遍路の四つの段階は私たちの人生で経験しなければならない四つの過程で、つまり私たちすべての人々が幸せ、安楽を求める過程でもあるのです。

つづく

 

講演タイトル『四国遍路について』

講演タイトル『四国遍路について』

2019-09-19

遍路の現代人への啓示

―――智広阿闍梨が日本愛媛大学で開かれた遍路文化交流会での講演

敬愛なる愛媛大学の先生方、学生の皆様、遍路団の皆様、こんにちは。愛媛大学でこのような講演の機会をいただき、大変嬉しく思います。一人の中国人として、遍路についての認識、及び遍路の現代人への啓発についてお話させていただきたいと思います。

一、四国遍路について

四国遍路霊場の分布図

至誠の祈り

四国遍路は日本において大変長い歴史を持つ伝統的な活動であり、記録によると、すでに1200年余りの歴史を持っています。ご存知の通り、四国遍路は発心、修行、菩提、涅槃という四つの段階に分かれています。

「一歩一弘法四国遍路団」は2015年11月正式にお遍路を始め、2015年11月、2016年2月に徳島県の発心、高知県の修行という二つの段階を終え、本日第三の段階–愛媛県の菩提の旅を始めます。最後ひとつ–香川県の涅槃の段階のお遍路は、功徳円満の段階であり、来年の2月に全ての巡礼を終えるつもりです。これは非常に有意義な巡礼の旅です。

上:NHKの報道記者が智廣阿闍梨にインタビューする様子 下:『一歩一弘法遍路団』の菩提の旅の記念写真

お遍路中に、日本のNHK等のマスメディア各局による遍路団へのインタビューや報道が行われました。その際、NHKテレビ局の記者から「中国ではこのようなお遍路がありますか」と聞かれたことに対し「私は中国で仏教文化を30年余り勉強しました。私が知っているところ、中国でもお遍路のような巡礼活動があります。私も中国でたくさんの聖地を訪れたことがあります。例えば、中国で有名な四大仏教名山である、五台山、普陀山、九華山、峨眉山があり、中国仏教界ではこの四大仏教名山の巡礼が非常に有名で、毎年たくさんの信者が礼拝に行きます。私自身も何度も四大仏教名山を巡礼したことがあります」と答えました。

この巡礼の根源はインド仏教に由来するはずです。インド仏教には釈尊生誕の地のルンビニ、釈尊成道の地のブッダガヤ、釈尊初転法輪の地の鹿野苑、釈尊入滅の地のクシナガラの四大聖地の巡礼があります。インドでは昔からこのように四大聖地を巡礼する伝統があるので、この聖地巡礼という伝統は、私の個人的見解ではインドが根源だと思っております。仏法は中国で盛んになり、巡礼は中国でも普遍的なものとなりました。1200年前に、弘法大師空海は唐に渡り、密教と科学文化を学び持ち帰ったと同時に、このような素晴らしい伝統を日本に導き入れたのです。これは私個人の見解です。

私の子供時代は、祖母のような年配の方々は高い教養こそありませんが、仏教寺院への巡礼には非常に熱心でした。当時彼女たちは皆、黒の袈裟を着て黄色い巡拝袋を背負うという決まった服装があり、巡拝袋の上には色々な寺院の朱印が押されてありました。日本の遍路とふたつ似ているところがあります。まず一点目は、たくさんの寺院を礼拝するところで、二点目は、熱心にお寺の印鑑を押してもらうことで、遍路の寺院の納経所での納経とよく似ています。

インドの四大聖地 左上:ルンビニ 左下:鹿野苑 右上:クシナガラ 右下:ブッダガヤ

二、遍路による思考

私は2012年に高野山で参拝をした時初めて四国遍路というものがあるということを知りました。その際に四国遍路についての資料を読み、遍路をすることは非常に有意義な事だと思いました。それなので、私はそれ以来四国遍路についての書籍と資料を収集し四国遍路の事を調べ続け、去年の11月にいよいよ決行するに至り、順調に一歩一弘法の遍路団を編成し、第一段階の遍路を遂行することができました。これが私の遍路を認識し開始するまでの過程です。

インターネット上のデータによりますと、日本では毎年五十万人余りもの人々が四国遍路をしているそうです。このデータはあくまでもインターネット上で調べたもので、正しいかどうかははっきり分かりませんが、このデータから四国遍路の巡礼活動が多くの人々に人気のある事が分かります。しかも多くの外国人も参加されているようです。なぜ毎年こんなに大勢の人が遍路をしているのでしょうか。彼らは遍路の巡礼活動から何を得たいと思っているのでしょうか。それについて私たちも思考してみるべきです。是非皆さんもご一緒に考えてみましょう。

三、遍路からの啓示–徒歩旅行から心の旅まで

「忙」という漢字

現代社会では、大部分の人々、特に都市で生活している人々は非常に忙しいと感じています。中国大陸では特に「北上広深」、即ち北京、上海、広州、深圳のような近代化された都市で生活している人々はとても忙しいです。私が日本に来て東京を見ると、そこの人々も非常に忙しそうにしていました。

中国の「忙」という漢字を見れば分かると思いますが、この「忙」の字の左は「心」の部首で、右には死亡の「亡」があります。人は忙しい時に、色んな煩悩や迷いが生じます、この「忙」という漢字は「心」「亡」を表しています。即ち「心」が既に死んだり、失ってしまったりして、そういう訳で「忙」というのです。

現代の人達はみんな旅行が好きで、中国では、祝日に入ると有名な観光地はどこも混み合っています。私は日本に来てから日本も同じだと気づきました。特に春の桜が満開の時期や、秋の紅葉が見頃の時期は至る所には観光客ばかりです。人はなぜ旅行に行くのでしょうか?それは、多忙な仕事と生活の中から解放され、リラックスし、心身を整えたいと思っているからです。

人生即ち遍路

四国遍路は浅い意味では観光の価値も兼ね備えています。四国遍路をしながら、大自然な景色を楽しみ、リラックスし、心身を整える事ができます。しかし、遍路は通常の観光よりもっと深い意味が含まれているのです。皆さんご覧のように、この写真に映っている石碑に「人生即遍路」という文字が刻まれています。これは四国遍路の中で一番有名な言葉です。遍路の事をご存知でしたらこの言葉を聞いた事があるでしょう。

四国遍路は人々を一時的に都市の喧騒と繁忙の中から離れさせます。大自然の中を徒歩し美しい景色を楽しみながら、リラックスすると共に人生について色々と思考する事もできます。日本では遍路に関するテレビドラマ「ウォーカーズ〜迷子の大人たち」があります。この四話からなるドラマは四国遍路の四つの段階に対応し、それぞれ第一話の発心、第二話の修行、第三話の覚醒、第四話の結願は遍路全てが円満という意味での結願です。発心、修行、菩提、涅槃と多少違いますが、監督は四国遍路の四段階の名称から閃いてテーマの名づけをしたのでしょう。この四話のドラマは人々が遍路を通して人生について考え遍路を円満に終える時に、一人一人が深く啓発を受け、人生における色々な問題について解決が得られ、多くの煩悩から解放されるというストーリーです。このドラマは本当に良く撮れていると思うので皆さんもぜひ見ていただくようお勧めします。その内容は四国遍路に関する文化が反映されており、とても意義のあるドラマと思います。

テレビドラマ「ウォーカーズ〜迷子の大人たち」

四、お遍路における仏教文化からの啓示

1、お遍路が四つの段階に分けられる深い意味

四国遍路は普通の旅行としての機能を果たし、また私たちが人生を反省し、人生問題について考える契機をもたらし、お遍路の中から人生の啓示を得る他にも、実はもっと深い意味を持っているのです。その深い意味とは何でしょうか?四国遍路という形は仏教から生まれ、弘法大師空海などの古代の高僧大徳により1200年前に創設された巡礼の形式であり、多くの緻密な設計がされ、多くの仏教文化の要素が溶け込んでいます。私の学んで来たお遍路の仏教文化の知識に基づいて、今日みなさまにお遍路の中における仏教文化に対する私の理解をお話しさせていただきます。

まず、遍路の四つの段階です。実はそれは私たちの人生の道の中で経験しなければならない四つの過程に当てはまります。人生は実際に遍路の四つの段階のような過程も必要です。一つ目は発心です。発心とは何でしょうか?発心とは、あなたがなぜ生きたいのか?人生の意味は何なのか?中国の古代の王陽明という方の素晴らしい言葉があります「志立たざれば、天下に成せるべき事無し」とおっしゃったことがあります。もし志を立てなければ、人生において何事も成就することができません。したがって、中国古人の言う「志を立てる」は仏教でいう「発心」であり。発心と「志を立てる」ということは全く同じものです。人生の始め又は人生を歩みだそうというときに、一番よく考えなければならない事は、何を志すのか?なぜ生きるのか?人生の意義とは何か?という問題です。これは私たち一人ひとりが考えるべき非常に重要な問題です。もちろん、仏教の中で一番よい発心は菩提心であり、それは弘法大師空海のように、一切衆生を度するため、一切衆生が苦痛から離れて、安楽を得る為に修行に励むこと、このような人生こそが非常に有意義です。弘法大師空海が一生の中でこんなに偉業を成し遂げ、無数の日本国民に福を与え、もちろんのこと日本国民だけでなく、今や全人類にも福を与えられている、それは弘法大師の発心―菩提心と深く関係しています。そのため、中国の古人の、発心がその人の一生の成就を決定するという教えのように。気持ちが小さければ小さく成し遂げ、気持が大きければそれに応じて大きいことを成し遂げられます。弘法大師の心は非常に広く、一切衆生を助けたいという気持ちを持っていたので、大師はとても大きな偉業を成し遂げられたのです。これが発心段階における私たちが思考すべき人生の重要な問題です。

“修行”段階の第一番「最御崎寺(ほつみさきじ)」(第24番札所)

第二段階は修行です。人はただ動機があり、良い志、良い発心があれば十分かというと、それでは足りません。私たちは修行でこの志、この発心を実現しなければなりません。すなわち、素晴らしい願望だけでは足りなく、行動で実践し、実行により願望を実現するということが極めて重要です。人間はただ素晴らしい願望を持ち、毎日スローガンを叫んでおきながら何も行動をしないのはいけません。絶えず実践しなければならないのです。この実践する過程のことを仏教では修行と呼びます。修行にはもう一つの意味がありますがそれは何でしょうか?自分の行為を絶えず修正することです。実践する過程の中で、誤った道を歩み、過ちを犯すかもしれません。では修行とはいったい何なのでしょうか?仏教の中で、自分の思想、言語と行為を絶えず調整し、自分の思想、言語、行為をよりよく調整する過程のことを修行と呼びます。寺院で出家したり、座禅をすることだけが修行だと考えている人がいますが、実際にそれは狭義的な修行です。では広義的な修行とは何かというと、それは私たちが時々刻々と自分の思想、言語、行為を覚知し、誤った思想、言語、行為を絶えず調整することです。それが広義的な修行であり、私たちが日常の仕事と生活の中でやらなければならないものです。私たちは誰でも過ちを犯すものであり、だからこそすべての人間が修行——誤った行為を修正することが必要なのです。

“菩提”段階の一番最後の寺である「三角寺(さんかくじ)」(第65番札所)

第三段階は菩提です。菩提は仏教では悟りを意味します。人間はある程度の修行をした後、思想のレベルが変化を起こし、考えが前とは違い、思想のレベルが上昇します。それが悟りと呼ばれます。当然ですが、小さい悟りから大きい悟り、そして仏陀のような徹底的(日本語では究極的な悟りという言葉が多いようですが意味が変わりますか?)な悟りまで「悟り」は幅広いレベルがあります。悟りは私たちにとって非常に重要で、人間の人生の境地は何で決められるのかというと、その人の悟りにより決められます。その人の悟りが高ければ、その人の境地も高く、大きなことを成し遂げ、もしその人の悟りが低ければ、境地も低く、小さなことしか成し遂げられません。仏教ではこの悟りを特に重視しており、例えば禅宗が求めるのは悟りを開き、明心見性し本性を徹見することです。日本の平安時代で最も著名なのは天台宗と真言宗でした。その後中国宋時代の時期に二つ重要な宗派が伝えられて来て後、日本でも非常に盛んになりました。一つは臨済宗で、もう一つは曹洞宗です。臨済宗と曹洞宗はいずれも禅宗に属し、禅宗が求める修行の目標は悟りを開くことであり、それが実は私たちのいうところの菩提です。したがって、仏教においては人間の悟りが重要で、悟りを開くということは非常に重要だと考えられています。悟りを開くとは宇宙と人生の真相に対して、不明から明白へ、迷いから悟りへと歩むことです。 悟りを開くということには様々なレベルがありますが、真言密教の中で言う菩提は何かというと、自分の心の本性を認識するものです。先ほど、諸田教授が講演の中で最後におっしゃった通り、真言密教の伝承する系譜の中には「大日経」の伝承があり、「大日経」の中には「云何が菩提とならば、いわく実の如く自心を知るなり」があります。本当の菩提は何でしょうか?本当に自分の心の真相を知ることを菩提と呼び、悟りと呼びます。当然ながら私たちにとって、かなり難しいことかもしれませんが、それは私たちの修行のひとつの目標です。

私たちの人生も同じであり、もし私たちが人生の中で自分の悟りを絶えず上昇させるなら、精神的境地も更に高くなり、大きく成し遂げることができます。弘法大師空海が末代まで栄誉を残し、1200年来日本国民、さらには全人類に恵みを与えたのは彼の悟りの境地が非常に高かったからです。中国でも、日本でも、歴代の仏教文化に大きく貢献した人は皆悟りが非常に高い人です。そういうことで、菩提(悟り)は非常に重要なのです。

“涅槃”段階の「善通寺(ぜんつうじ)」(第75番札所)

第四段階は涅槃です。この言葉は中国で非常に誤解されやすい単語です。私は日本ではどうなのかはよく分かりませんが、中国では、多くの人が涅槃イコール死だと考えており、高僧大徳の涅槃と言うと高僧大徳が死んだのだと勘違いをしてしまいます。実は仏教の中で涅槃という言葉と死とはあまり関係がないのです。涅槃はサンスクリット語の中で般涅槃と呼ばれ、般涅槃を中国語に翻訳すると、円寂です。円満の円、寂滅の寂です。円寂という二つの文字はどんな意味があるのでしょうか?円は最高の境地の修行を得て、すべての功徳が円満になること。それが「円」と呼ばれます。寂とは何でしょうか?すべての欠点、すべての誤り、すべての苦痛も取り除かれること。それが「寂」と呼ばれます。円寂とは生命が非常に円満な境地に達し、すべての人生の潜在的な能力、もっとも優れた部分がすべて開発されたということです。そして、人生の迷い、欠点が既に克服され、苦痛が既に止んだということです。ですから、涅槃という言葉が何を表しているかというと、人生の円満を表しているのです。

どうして第四段階が涅槃と呼ばれるのでしょうか?私たちは発心、修行、菩提を経て、最後に人生の円満な境地——即ち「成仏」まで達するということです。それでは、成仏とはどんな概念があるのでしょうか?仏教の中で、成仏とは徹底的に悟りを開いた(究極的な悟り)ということです。でも、徹底的に悟りを開くこと(究極的な悟り)を理解出来ない人も沢山います。禅宗の第四祖道信大師の仏陀に対する定義を借りて説明したいと思います。道信大師は「快楽で憂いなし故に仏なり」とおっしゃいました。何が仏と呼ばれるのでしょうか?仏とはすべての苦痛が全部取り除かれ、完全なる快楽であり憂いがない方です。それが道信大師による「方寸論」の中で説かれている「仏」という概念に対する非常に分かり易い定義です。

安楽で憂いの無い故、仏と呼ばれる

したがって、「成仏」は私たち一人ひとりと関係があります。私たちはみんな安楽を求め、すべての人々が安楽で憂いのない人になりたいと望んでいます。仏は安楽で憂いのない方です。それでは、仏法とは何でしょうか?仏法は安楽で憂いのない方法を獲得するための方法です。遍路の四つの段階は実に私たちが悩みから安楽で憂いのない境地へ歩む過程です。発心から、修行、菩提、涅槃、最終的に安楽で憂いのない境地へ、すべての悩みと苦痛が全て取り除かれた過程です。

人は誰もが楽しみを求め、幸せになりたいと望んでいます。それは私たちすべての人々が求める目標です。私たち人類のすべての活動の本質は実に苦痛から離れて安楽を得るに他なりません。そのため、遍路の四つの段階は私たちの人生で経験しなければならない四つの過程で、つまり私たちすべての人々が幸せ、安楽を求める過程でもあるのです。

つづく